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マーケティングの本質とは?
マーケティング・広告の変容
インターネットの普及により、広告のありようは大きく変容しました。時が経つほどにインターネット上の広告費は増え、また一般消費者からの情報の発信が容易になったために、批評や口コミが増え、バズとして世の中に広まる現象すら発生してきています。
こうした中で、効果的にWebマーケティングを行うには、インターネットの性質を知ると共に、マーケティングの本質を見直していかねばなりません。意味も然ることながら、バズの情報伝播能力の大きさがとても注目されてきています。
マーケティングはコミュニケーションであるとされます。これは比喩だとかそういったものではなく、広告主と消費者とのコミュニケーションであるとの示唆です。
たとえばPRと略されるパブリック・リレーションズは、本来は企業から消費者へ情報を送る広報と、消費者からのメッセージを企業が受け取るという広聴の要素が含まれています。
「PR記事」といった風に、PRが単純に広告としての意味しか表さないような使われ方をしているのは、形骸化であるといえます。
広告の主たる要素
また広告は2つの要素に分けられます。「どう伝えるか」と「何を伝えるか」です。企業の目標たるKPI(重要業績評価指標)は、多くが「成果をあげる」というものになります。
「認知度をあげたい」「バズらせたい」というのは具体的なKPIではありませんし、そこには「どう何を伝えるか」の手段が含まれていません。
インターネット以前では、AIDMAの購買プロセスモデルに見られるように、一方通行の広告でもどうにかなっていたかもしれません。
しかしSNSなどで一般消費者が情報を発信できるようになった現代では、それではマーケティングとして不十分なのです。
広告とは印象を操作することではない
広告が語られる際に、「態度変容」という言葉が使われることがあります。
こうした言葉の解釈が曲がってしまうと、「広告で消費者の意志を操作できる」と錯覚してしまいかねません。しかしあくまでマーケティングや広告はコミュニケーションの一環なのです。
好きな人に告白する際に、「よし相手を洗脳してやれ」という人はとても危険です。
告白する回数に制限はありませんが、嫌がる相手にむりやり告白しても逆効果で怒らせて悲しませるだけです。
手が嫌がらない程度に好みを調べ、喜んでもらえるようにプレゼントを贈ったり、楽しい体験をしたりしてもらう。そうした健全なコミュニケーションが大事といえるでしょう。
マーケティングも同様です。
嫌われるために広告を利用するのではありませんし、自分の利益のみを優先するためだけのものではなく、双方向的に利益を得られるものが最適だといえるでしょう。
インターネットの人々の感受性
インターネットが発達した現代でも、すべての人がインターネットに熱中しているわけではありません。
テレビはなお健在ですし、新聞がなくなるというのも非現実的です。
そんな中でもインターネットを利用する人は、それだけインターネットに利便性を感じているのです。
それは単純にモバイルデバイスなどの携帯性であったり、情報取得の容易さであったり、コミュニケーション手段としての有用性であったり、様々あります。
マーケティングの観点からは、こうしたインターネットを利用する人々に、必ず焦点を合わせる必要はありません。
未だテレビや新聞の広告でも宣伝効果はいくらか見込めるでしょう。
しかしWebマーケティングを行うと決めた場合は、こうした多種多様な人々の実情を知らなければ、マーケティング効果を効率的に最適化することはできないのです。
さいごに:成長を続けるインターネット広告
電通によると、インターネット広告費は4年連続で二桁成長を続けています(参考ページ:2017年 日本の広告費|媒体別広告費)。
これからも成長していくことが容易に予想されます。
いつの時代もこうした急成長するものを利用する際は、効果の大きさも然ることながら不安も強くなりがちです。
しかし効果的に利用しようとするならば、その内情を知る他に手段はないのです。